母娘の奮闘日記「母と娘の6年間」

お店で起きたこと

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母娘の奮闘日記「母と娘の6年間」前回彼女が経営していた「リサイクル店が閉店」した記事を書きました。
今回は彼女と彼女の娘である「天使」の二人が今までどのようにお店を切り盛りしてきたかを書きたいと思います。

「母娘二人のストーリー」
彼女は台北人。台北で生まれ、台北で育ちました。
結婚後、娘が生まれます。まだ赤ん坊だった娘が4ヶ月の時に脳の異常が発見されました。
それから彼女の娘は脳が麻痺した状態で育っていきます。娘は”話すこと”歩くこと””食べること”などほとんどの事ができません。そんな障碍がある娘を彼女の亭主と亭主の家族は嫌がったのです。それから亭主は娘がたまにひどい発作で病院に運ばれても、気にもとめなくなりました。そこで彼女は離婚を決意して、娘と共に台中に越してきました。

「台中に越してきた母娘」
母娘二人で台中に越してきたけど、どうやって生活していこう?娘の面倒を見るために会社勤めという選択肢はありませんでした。また娘を1人家に置いておく事も出来なかったので、彼女は自分でお店をやる事にしました。自分でお店を経営することで、子供を店において一日中世話できますし、子供の容態が悪ければ自分の勝手でお店を休む事もできます。つまりシングルマザーとして障碍を持つ子供の世話が可能な「店を経営する」ことを選んだのです。開店資金は彼女のお父さんを説得して出してもらい、沙鹿に「リサイクル店」を出しました。

一度はお店の引越しをして看板(フランチャイズ)を変えましたが、地道に商売をしていきました。
2年前、僕が彼女達と知り合った時は学生街から少し離れた場所で店を営んでいました。

「小さいお店」
お店の敷地面積は十数坪程度の小さいお店でしたが、彼女とアルバイトが一人いればやっていけるちょうど良い大きさのお店でした。



狭い店内に商品が所狭しと陳列していました。




ずっと1人でお店を経営してきたので、知り合った当時、彼女は少し疲れているようでした。


それでも母娘仲良く暮らしてきたことは一目瞭然でした。


「大きいお店へ引越」
彼女が加盟しているリサイクル店は台湾全国に展開していて、業界2位の規模を持つ会社です。このリサイクル店は台湾南部から起業して、北部、中部にフランチャイズ(以後=FC)を構えるようになりました。

しかし中部では彼女のお店だけしかない状態でした。以前は台中市内にも何店舗かFCの店があったのですが、この会社のシステムがとても複雑で、皆そのシステムについていけず、途中で契約を破棄してしまったのです。このリサイクル店が販売している商品は全て会員が家で使用していないモノを店頭に並べて販売しています。つまりお店は商品を陳列する空間を提供しているだけで、在庫を一切持ちません。その代わり会員と会員が持ち込んだ商品の管理がとても大変なのです。加盟した店主達はみなそのシステムの複雑さが嫌になりFCを解除してしまうのです。

去年の5月、母娘で細々とやっていたお店に、リサイクル店の社長がやってきました。社長は自分が投資してバックアップするので、もう少し大きい規模のお店をやらないかと持ちかけたのです。つまり彼女の店を大きくして、台湾中部のモデル店にしようとしていたのです。そうすればもっと中部にFC店を増やせるのではないかと社長は考えていたようです。

社長が見つけてきた物件は元々はレストランだった物件で1,2階合わせて120坪もある大きなお店でした。


1階と2階各60坪ある大きいお店でした。






店内を清掃して、お店に必要なケースや棚を作っていきました。




開店準備で疲れ果て、店内で眠り込んでしまいました。


開店準備が終わり、小さい店から全商品を運び入れようやくオープン。
写真はお店の商売繁盛を願いお祈りをしているところ。


こうして新しいお店としてリニューアルオープンしたのですが、1年後に残念ながら閉店してしまいました。
最後は社長に利用されて大事なお店を無くしてしまったのに、彼女は「今まで社長は私達の面倒を見てくれたから恨んでいない」と言い切りました。この”人の良さ”が彼女の魅力だと思います。そして彼女の周りにいる仲間達はそれを良く理解しているので、皆忙しい中駆けつけて助けてくれたのです。

6年間母娘でお店を構えてきて色々と苦労があったと思います。それでも二人で辛抱強く暮らしてきました。
今はただゆっくり休んで静養してほしいと思います。次のステップに備えて。

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