台中の下町「清水」の昔と今

日本統治時代の写真がかなり載っていて面白かったのでここで紹介したいと思います。
まずは「清水」の町中を通る大通り「中山路」
現在は
当たり前ですがかなり変化しています。
賑やかな商店街
現在はチェーン店が並ぶ商店街になっています。
清水小学校の校門
現在は
「誠」の石は校内に移されていました。(古い写真中央にある)
校舎もレンガからコンクリートに。
校庭で運動会が開かれていました。相撲の練習?かな。
現在校庭は一般の人にも開放されています。
昭和10年に清水で大震災が起きました。300人以上が亡くなる大惨事でした。
今ではその地震の記念碑が建てられ、後世に残されています。
街の奥には坂があり、坂の上に「清水神社」がありました。
この立派な神社は第二次世界大戦終了後、台湾を統治していた日本政府が本国に帰り、蒋介石率いる国民党が台湾に入った後すぐに壊されてしまったのです。
今では野原になっていました。
この2匹の狛犬だけが残されました。彼等は戦前戦後とずっとこの街を見守ってきたのでしょう。
清水のシンボルとなっている「紫雲巖」も歴史ある廟です。
今でも多くの台湾人がここを訪れています。
最後は清水の観光スポット「高美溼地」にある赤と白の灯台。昔からここでは潮干狩りが行われていました。
今では台中の有名スポットとなり、週末は多くの観光客で賑わいます。
今回この写真集を見ながら「清水」という街を歩いてみました。学校や廟は今でも残っていますが、日本形式の建物はほとんど無くなってしまいました。そんな中、昔の写真を手がかりに探してみると少しですが日本統治時代の「雰囲気」が残っていました。そして一番嬉しかったのは地元の人達が当時の事を今でも懐かしく思ってくれていることです。これはまさしく我々のご先祖様が努力を尽くしてこの街を築いてくれたからではないでしょうか。
台湾にはこういう街が「清水」以外にもたくさんあります。台湾と日本の歴史を少し勉強して散歩してみるとまた一味違った台湾を楽しめるのではないでしょうか。
2014年5月16日